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   <title>大阪だいすき</title>
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   <subtitle>大阪のことを紹介するブログです。</subtitle>
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   <title>古代?近世は？？？</title>
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   <published>2007-10-05T04:31:19Z</published>
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      <![CDATA[大阪府は、かつての令制国での和泉国、河内国、及び摂津国の東部にまたがる地域を占めている。古代から瀬戸内海を経る航路の終着点として住吉大社（大阪市住吉区）近くの日本最古の国際港の住吉津が機能しており、大和王権と深い繋がりがあったと考えられており、日本最古の官寺である四天王寺（大阪市天王寺区）や大仙陵古墳（仁徳天皇陵。堺市）を始めとする百舌鳥古墳群や古市古墳群等大小多数の古墳が造営されている。また大化の改新後に即位した孝徳天皇の難波長柄豊碕宮（大阪市中央区）は日本最初の本格的な首都とされ、その後も聖武天皇の難波京等の様に都や副都が度々置かれた。

平安時代においては、淀川の河口に位置するこの地は京都と水運で結ばれ、この水運を介しての関係はその後明治時代に鉄道が敷設されるまで続く事になる。平安時代初期に征夷大将軍の坂上田村麻呂の三男の坂上広野が摂津国住吉郡平野庄（大阪市平野区）の領主となり、その子孫といわれる一族が中世の平野の自治を担う。

平安中期になって、源満仲の長男頼光が摂津の多田（現兵庫県川西市付近）を、三男頼信が河内の壺井（現在の羽曳野市）をそれぞれ拠点とした。この内頼信の河内源氏が有力となり、頼信の孫の八幡太郎事源義家は坂東武者を従えて武家の棟梁となり、大阪府の南河内は武家の中心地となる。この源義家の四代後の子孫が鎌倉幕府を開く源頼朝である。また、源頼光にはじまる摂津源氏の郎党で、渡辺綱を祖とする嵯峨源氏の渡辺氏は、現在の中之島近くの渡辺津を本拠地とした。

平安時代後期には、河内の中部にあった元春日とよばれた枚岡神社の神主から武士団となった水走氏一族がでて、大和川やその支流の水運を支配して大きな勢力となった。

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、河内に悪党と呼ばれた在地豪族の楠木正成が出て活躍した。正成を初めとする楠木氏は南朝方の有力武将として河内に拠り度々足利尊氏ら北朝と戦ったが、正成は湊川の戦いで、その子正行も四條畷の戦いで戦死する等し、やがて勢力を弱めた。室町時代に入ると摂津・和泉には細川氏が、河内には畠山氏がそれぞれ守護に任ぜられた。ただ両家とも幕府の三管領家に名を連ねる家柄であり、実際の政務は配下の守護代が執り行う事が多かった。尚後に肥後国熊本藩々主となる細川氏は、和泉守護を務めた分家筋に当たる。

応仁の乱後、戦国時代に入ると、細川氏・畠山氏共に家督を巡る争いから混乱を極めた。この間、堺は会合衆と呼ばれる町衆が中心となって運営し、平野は坂上田村麻呂の子の坂上広野の子孫といわれる町衆による自治都市として栄え、また摂津の石山には法華信者との争いから京都を去った浄土真宗の蓮如が石山本願寺を建立した。一方、新たにこの地域で力を持ったのは細川氏の家臣で阿波国出身の三好氏で一時は将軍の後ろ盾となるほどの勢力を誇ったが、三好長慶の死後は矢張り家内の争いによって力を弱め、その後台頭してきた織田信長に屈服した。信長に対して浄土真宗の法主であった顕如は全国の信徒に蜂起を呼びかけ、また自らも石山本願寺に篭って織田勢と対決した。この石山合戦は十年にも及んだが、最終的には1580年（天正八年）に本願寺を開け渡す事で終結を迎えた。

【相互リンク】
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   <title>梅田</title>
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   <published>2007-09-12T05:16:55Z</published>
   <updated>2007-09-12T05:31:10Z</updated>
   
   <summary>最近先輩が梅田の近くにすんでいるから遊びにいったんだけどかなり楽しかったです。 ...</summary>
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      最近先輩が梅田の近くにすんでいるから遊びにいったんだけどかなり楽しかったです。
庶民的な居酒屋にいったんだけどとても雰囲気が良くまた行きたくなってしまいました。
今日はそんな梅田について解説します。

梅田（うめだ）とは、大阪府大阪市北区に属する梅田駅（阪急・地下鉄・阪神）・大阪駅（JR）などを中心とする街。

大阪の難波を中心とした一帯を「ミナミ」と呼ぶのに対して、梅田周辺を「キタ」といい、大阪を代表する繁華街の一つになっている。

梅田（うめだ）とは、大阪府大阪市北区に属する梅田駅（阪急・地下鉄・阪神）・大阪駅（JR）などを中心とする街。

大阪の難波を中心とした一帯を「ミナミ」と呼ぶのに対して、梅田周辺を「キタ」といい、大阪を代表する繁華街の一つになっている。

高層ビルや百貨店、ホテル、劇場などが立ち並び、日本を代表する高層オフィス街となっている。なお、梅田周辺は伊丹空港の発着航路上に当たる為、航空法により、約190m以上の建築物の建設が禁止されている。 

明治以前、国鉄が開通するまでは田畑ばかりの「ドタ」と呼ばれる寂れた土地だった。 

「梅田」という名称は、田畑池沼を埋め立て土地を拓いたことから付けられた「埋田」を語源としているといわれ、後世になってこの埋田では縁起が悪いという事で梅田の氏神さまである綱敷天神社や露天神社に縁のある梅の字を、埋田にあてて「梅田」となったといわれている。
 
この梅田の名の由来となった梅は、1871年まで太融寺町（現在は茶屋町に移転）にあった綱敷天神社御旅所境内の梅塚と呼ばれる紅梅の事である。 

■梅田の範囲
北は中津駅付近、済生会中津病院くらいまで、南は北新地駅=国道2号まで、それ以南は北新地である。東は新御堂筋くらいまで、それ以東は曽根崎か太融寺であろう。西は出入橋くらいまでで、それ以西は福島となる。

住居表示上の梅田は、駅前ビル4つと阪神百貨店、ヒルトンホテルが梅田一丁目、新しい阪神ビルHN2からスノークリスタルまでが梅田二丁目、毎日新聞から大阪駅全部が梅田三丁目である。従って、曽根崎警察、阪急百貨店、阪急梅田駅、ヨドバシカメラ、梅田貨物駅、梅田スカイビルは梅田という住所ではない。特に、梅田スカイビルは、旧大淀区に位置するので、大阪市北区ではなかった地域である。

住居表示の実施前は、阪神百貨店は「おおさか/うめだ/いちばんち」にあったので、コマーシャルソングで歌われていた。住居表示は13番となったが、現在も地番は「1番地」である。なお、阪急百貨店、HEPナビオ・ファイブは角田町に所在する。豊崎や中津のあたりまで「梅田」の名前のついたビルやマンションは多い。

■各地区の紹介
■大阪駅南側・梅田1丁目・角田町 - 繁華街・オフィス街
 
大阪駅南側主に阪急百貨店（うめだ阪急）、阪神百貨店、アクティ大阪（大丸百貨店梅田店）が近接して建つ地域。この付近一帯が梅田の中枢となっている。阪急百貨店の東側にはHEP NAVIO、HEP FIVE、阪急グランドビルなどの阪急グループが経営する施設が立ち並んでいる（阪急村）。また、阪神百貨店の南側はかつては闇市の面影を残す民家の密集した薄暗い一帯であり、買収等再開発区画整理に非常に手間取ったが、今や高層ビルの建ち並ぶ近代的な区画となった。中でも大阪マルビルはその独特な外観から梅田の象徴的存在であり、2003年まで最上部に設置されていた電光掲示板は梅田の名物でもあった（2005年10月4日に部分的に復活）。近隣にはヒルトン大阪、梅田DTタワー、大阪駅前ビル（第1、第2、第3、第4）、新阪急ビル、ショッピングビルのイーマなどが建つ。（ダイヤモンド地区）


■茶屋町周辺 - 繁華街
大阪駅から見て北東方向に位置する茶屋町周辺は1990年代に入ってから急速に発展した地域。阪急三番街や古書店が軒を連ねる阪急古書のまち、飲食店や居酒屋が軒を連ねる阪急かっぱ横丁などは以前からあったが、茶屋町が脚光を浴び始めたのは毎日放送が移転し、梅田ロフトが出来た頃からだといわれている。1992年には劇場・ホテルを備えるちゃやまちアプローズが完成、2005年にはショッピングビルのNU茶屋町も完成するなど順調に開発が進んでおり、隣接する東地区には30階?40階建ての、また大阪東急ホテル跡地には24階建ての複合ビルがそれぞれ建設される。

■北梅田地区 - （再開発中の地区）
大阪駅北側の地域。2001年にヨドバシ梅田が開業してから注目され始めた。三越百貨店が主要テナントとして入居する予定の大阪駅北ビル建設や梅田北ヤードの再開発などが今後計画されており、中核をなすナレッジキャピタルには松下電器産業や大阪大学などが入居する予定となっている。完成すると170?180m級の高層ビルが数棟立ち並び、また大阪駅北口前には広大な駅前広場が設置される予定である。

■北新地 - 歓楽街
曽根崎通（国道2号）より南の地域を指す。バブル期には高級クラブなどが軒を連ね、上級の歓楽街として位置付けられていたが、近年は庶民的な居酒屋や飲食店なども増えている。性風俗店が皆無で、一見さんへの客引きが無いことから安心して飲みに行ける歓楽街としてバブルの頃とは違った理由で人気である。


■小松原町、堂山町、曽根崎二丁目、太融寺周辺 - 歓楽街
主に阪急東通商店街、お初天神通り周辺。南北に伸びるお初天神通り（曽根崎二丁目）は、居酒屋や寿司屋、お好み焼き屋が数多く建ち並んでいる。一方、阪急百貨店から東に延びる阪急東通商店街（小松原町・堂山町）は、居酒屋などの飲食店が多く学生の姿が多い一方、パチンコ店やゲームセンター、風俗店なども数多く建ち並んでいる。営む店の業態が多種多様である歓楽街である。特に、堂山町、太融寺周辺は、ラブホテルや風俗関連の店が多い地域である。

■西梅田（オオサカガーデンシティ）地区 - 繁華街・オフィス街
 
■オオサカガーデンシティ 
新梅田シティ主に四つ橋筋より西側の地域を指す。1980年代から、阪神本線の地下化によって生じた跡地や旧国鉄梅田貨物南ヤード跡を再開発した地域である。そのうち、オオサカガーデンシティは1990年代以降、毎日新聞の大阪本社建設を嚆矢として再開発され、地域面積は10ha、就業人口は約25,000人の地区となった。リッツカールトン大阪が入居するハービスOSAKAや、オフィスビルといった施設が建設された。2004年には、劇団四季専用劇場や高級ブランド店などが入居するハービスエント（それまであった旧ホテル阪神や新阪神ビルの解体跡）完成をもって、この地域の開発は一応一段落した。現在は敷地南側でサンケイビルの建て替えが行われており完成すると34階建て、高さ176mの高層ビルが出現する。また毎日新聞社も大阪本社隣接地に高さ99mのテナントオフィスビルを建設しており、西梅田から堂島・中之島にかけての地区はいくつもの再開発計画を抱え、40を超す棟の超高層ビルが林立する地区となっている。


■新梅田シティ周辺 - オフィス街
大阪駅から見て北西にあるツインビル（梅田スカイビル）とウェスティンホテル大阪を中心とする地域。JR環状線・阪神本線福島駅の北約800mに位置する。積水ハウス、東芝、青木建設、ダイハツディーゼルの所有地だったのを、1986年から、この4社の共同事業（大阪北梅田再開発事業）として再開発事業を着手し、整備された。梅田スカイビルは、ツインビルの上層が連結されており、空中庭園として提供している。梅田の中心地から3キロほど離れているため、その空中庭園から梅田が一望できる。またその近くには朝日放送の本社屋があるが、中之島への移転が決まっている。この周辺には他に、専門学校、音楽ホールであるザ・シンフォニーホール、関西将棋会館が存在する。

また、これら各地区とは別に、地下街や通称名が存在する。


■地下街
梅田の地下街は北は茶屋町近辺から、南は堂島、東は堂山町、西は福島近くまで広がっている。構成する主な地下街はホワイティうめだ、ディアモール大阪、堂島地下センターなど。これに加えて、阪急三番街や、ギャレ大阪、大阪駅前ビル、富国生命ビル、新阪急ビル、ハービスオオサカなどのビルの地下階が地下街とほぼ一体化した形で構成されており、それら全てを合わせた地下街の総面積は世界一とも言われている。


■阪急村
阪急梅田駅東側一帯の阪急グループの商業施設が建ち並ぶ地域を、「阪急村」と呼ぶ場合がある。また、阪急グループの経営ではないが、阪急東通商店街という名前の通りが、阪急百貨店から小松原町・堂山町にかけて存在する。


■梅田北ヤード
JR大阪駅の北にある、梅田貨物駅を中心とする地域のことである。（大阪駅北地区の項を参照のこと。）現在は貨物駅敷地全体で再開発が始まっている。

みんなも梅田を良く知っているとは思いますがバブル期とは一味違った梅田を楽しんではいかがでしょうか。




      
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